前世と私とソウル

前世と言われるものは1つではない方が大多数だと感じています。そのことから、私はまとめて過去世と表現します。

過去世と今の自分とソウルの関係など、いま私が感じている事を書いてみたいと思います。

 

まず現世の自分とソウルの関係ですが、絵に書くと下の図1のような感じです。

繋がっている線が何を示すかというと、ソウルとの距離です。

距離と言うのは物理的な距離ではなく、ソウルと自分の心の距離と表現するのが適当かもしれません。

いま改めて考えてみると、この線がなくソウルとぴったり重なっている人はとても少なく、ほとんどの方は長短の違いはありますが距離があるように感じます。これは先日、六甲山に行った直後、友人と話していて気が付きました。

かく言う私の場合はぴったり重なる瞬間もあれば、微妙にずれたり、短い距離をとったりします。ぴったり重なった感覚は違和感なく、出てくる言葉も自分のものでありながら、同時にソウルの言葉。この状態の何がいいかと言うと、当たり前のようにブループリントに沿った行動が出来る事。ブループリントとは、生まれる前にソウルと相談して計画した今世の生き方です。また必然的に過去世との距離が短くなります。なぜか?

説明いたします。

 

過去世とソウルと現世の自分の関係を示したのが図2です。

私は以前、「私が死んだら、私が次の誰かに生まれ変わる」と思っていました。ソウルリーディングをするようになり、過去世と私は直接つながっているのではなくソウルを通してつながっている感覚を持つようになりました。

私が死んだら私はソウルと共にいるようになる。そして私が死んでも直接、誰かに生まれ変わるのではなく、ソウルが「来世」を準備しているように感じるのです。図では過去世とソウルの間に線を書きましたが、この線、つまりソウルと過去世の距離はないと考えています。

ソウルリーディング中、私とソウルはぴったり重なっています。つまりソウルと一緒にいる過去世との距離も最短になります。

 自分で自分のソウルリーディングをして、過去世を聞いたらすぐつながることが出来そうですが、教えてもらえないこともしばしばです。今知る必要はないとか、あえて過去世の情報を隠されることが結構な確率であります。過去世でどんなひどい目にあったのか、または今の私が知ったら耐えられないような極悪非道な過去世を生きたこともあるんだろうと思っています。

そんな風にどんな過去世を生きたのか分からない状態でも、過去世が感じたと思われる気持ちの断片とでも表現しましょうか。何かの拍子にそれがパーッと私の中に広がり、まるで今の自分自身の気持ちのように感じる事があります。うれしい気持ちの時もあれば、悲しい気持ちもあります。

それはすべて意味があっての事だと思っています。今は分からなくても後でそういうことだったのかと気が付くこともあるのです。隠されている過去世も必要ならば明かされる時が来るでしょう。

それはクライアントの皆様も同じこと。過去世の情報も含め、ソウルリーディングでお渡しする「必要な情報」には、そういった一見意味がなさそうに見える情報が含まれています。

忘れてはならないのは、ソウルも過去世も現世を生きる今の私達を応援してくれているということです。

私がまだ自分でソウルリーディングをしようとか、出来るとか考えもしなかったころ、眠ろうとすると、人の「目」が見えるということがありました。「目」は片方だけで、スライドショーのように次々に色々な人の「目」が見えてきます。気持ち悪いと思っていました。

ある日、「あ、これは全部違うけど、全部自分の目だ」と直感しました。目の形は違うけど、瞳の奥は一緒じゃないか、と。

その後、みどりさんのセッションで「目」について質問をした時、「目覚めなさいって言われていますよ」と言われ、妙に納得しました。過去世がみんなで私に伝えようとしていたようです。「今、バトンを持っているのは、君だよ!君が走る番だよ。みんなで君を見守っているよ」と。

 もう一つ、過去世は人間だとは限らないということを感じています。人間でもなく、動物や植物や虫でもなく、それ以外の意志をもった存在だったこと。生まれ変わりがあるとしたら、世界の人口が増加している事を説明できない。でももし、人間以外の過去世を持っていたら?もし、ソウルそのものが日々増加しているとしたら?

 実は私もまだよく分からないのです。ソウルは何のためにこの壮大な旅を続けているのか。

私はソウルリーディングで、過去世にとらわれ、身動きが出来なくなってしまうような伝え方をしないよう気を付けています。もちろん、伝え方はクライアントのソウルと相談しているのですが、過去世も含めたソウルのこの旅の意味を私が理解しきれていないのと、それでもやはり現世の自分を生きるというのは大切だと思うからです。

ただ目の前のことにまっすぐ向き合っていくこと、地に足をつけて歩んでいくこと、そういう一つ一つの積み重ねが、自分の人生を歩むことにつながるのではないでしょうか。その中でソウルリーディングは、「進む方向はだいたいあっちの方向」「この方向であっています」「もう少し東寄り」とか途中で確かめる羅針盤のようなもので、逐一道案内するナビゲーターとは違うと感じています。

今後、この壮大な旅についても分かってくることがあるでしょう。そして過去世と現世とソウルの関係をもっとわかりやすく新たに感じた事を加えて皆様に説明できる日が来るかもしれません。

そのときはまたここで書いてみようと思います。

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