あたまの上に鳩

私の頭の上には鳩がいます。
(ついでに龍2頭、白いのと青いのと、白い蛇一匹もぞろぞろついてきます。)
と言ったら、何言ってるんだ?と、それこそ頭がおかしいと言われかねないので、普段は言いません。このブログを読んでくださるどなたかに楽しんで頂けたらいいな、という思いで書いています。
「柿田川」をUPするまで、こんな事を書いて大丈夫なのかと思っていましたが、もう発表してしまったので後戻りできない感があります。その後、まじめにソウルリーディングに関することを書いてはみたものの、何度書き直してもお説教っぽくなってしまい、書いている私が楽しくなかったのでやめました。
書いていて楽しいことを書いてみます。大丈夫なのかという迷いは振り払ってUPしてみようと思います。
どうぞお気楽に読んでいただけたら嬉しいです。

 

さて、鳩のこと。
「3月のライオン」をご存知でしょうか。将棋がモチーフの漫画です。将棋は全くと言っていいほど分からないのですが、人間模様や細かに描かれた心の動きにとても惹かれます。
去年の晩秋の頃の話です。千駄ヶ谷に行ったついでに、漫画に登場する将棋会館と鳩森神社に寄ってみようと思いました。

正式には鳩森八幡神社。千駄ヶ谷の駅から歩いて5分ほどです。
境内にはお稲荷さんなどもご一緒に祀られていましたが、時間が限られていたので心の中で名前と住所をお伝えしながら、まっすぐ本殿に向かいます。
ご存知の方が多いと思いますが、神社にお参りするときは自分が何者でどこから来たのかをお伝えするのがマナーです。
それ程大きな社殿ではありませんが、とても大切にされていることが分かります。放たれる光のようなものがきらきらしているのです。
「本日はこのような機会をありがとうございます。」
とお参りすると、古代の貴族のような装束の初老の男性が胡坐をかいているのが見えてきました。しかも身体に、鳩が何羽もとまっています。布製の冠のようなものを被った頭、肩、腕、胡坐をかいた足の上まで鳩だらけです。とまりきれない鳩が男性の周りにも数羽、ポポポポと、小さく飛んで戻ってきたりしています。
あとで調べたところ、神社の由緒では白鳩が関係しているようでしたが、男性の周りにいたのは土鳩でした。
さすが鳩森と言うだけあるんだなぁと思っていると、男性から
「よく来たな。一羽やろうか。」
と言われ、驚きました。
「え、私こちらにお参りするのは初めてで、それなのにいいのでしょうか?」
と言いつつ、内心、今でさえ龍と蛇がいるのに、その上鳩の世話なんてどうするんだろう、できないんじゃないか、という考えがちらついていました。
再度視線を合わせると男性はにこにこしています。神様がくれると言っているものを断るなんてないな、というか断れる雰囲気ではないな、これは。。。
覚悟をして、「ありがたく頂戴します」と言いました。左肩にとまっていた土鳩を一羽抱き上げると、私の右肩の上にのせてくれました。
お礼言って神社を離れました。
その日からです。鳩が一緒にいるのは。肩にのったはずでしたが、いつの間にか頭の上が定位置になっています。

神様と書きましたが、この記事を書き始めて、あのお方は誰だったのだろう、と今更御祭神を調べています。
なるほど応神天皇だったようです。
六甲に行ってからは、神社の御祭神の説明をみるようになりましたが、それまではどんな神様なのかあまり気にしていなかったのです。
幼いころから神社が身近にあり、神社にお祀りされているのは神様で、神様は大事にするものだという単純な感覚で育ってきたからだと思います。最近は自分の為に神様にお願いをするのは、試験等、これだけはどうしても、という時だけです。普段は、「お参りできて嬉しいです。」と気持ちを伝えている事が圧倒的に多いです。

鳩に戻ります。
あたまの上に鳩がいる?
私自身もしばらくの間は半信半疑でした。
鳩は、龍や蛇と違って、言葉をペラペラ話すことはなく、簡単な一語文を話す程度、静かな九官鳥といったイメージでしょうか。黙っていたらまるで本物の土鳩のようです。目に見えない存在ですけれど。
そして、もらったのはいいけれど、どんな鳩なのかを聞いてくるのを忘れていて、鳩はただ頭の上で、私の髪をつついているだけでした。
春になり、みどりさんにソウルリーディングしてもらう機会があったので、その時に鳩の事を聞いてみました。
『確かに鳩がいます。頭の上に。冥界に行ける伝書鳩。深い森や山に入るときは、驚いて飛んで行ってしまうことがあるのでその時は足環をつけて繋いでおくように。餌はいらないけれど、出かける時に一緒に風景を見て楽しんでいるので、旅はいいですね。』
そのような内容の回答でした。

度々脱線しますが、
私自身、自分のリーディングは可能です。では何故お金を払って?というと、確認したくなります。見えない世界は私だけの妄想ではないことを。あとは自分の事はどこかで自分の気持ちが入ってしまっていないか、と思うことがあるのです。最近は気持ちが入ることはないということが分かってきました。それでもそんなに強い面ばかりの人間ではないので、私以外の人の口から言葉を言ってもらいたい時があります。なので、たまにこうやってリーディングしてもらうことがあるのです。

そんなわけで、柿田川のブログを書くにあたって、初めて鳩に伝書鳩として働いてもらうに至ります。
その時、鳩の色は言えないと書きましたが、その理由は色が変わってきているからです。
柿田川の龍の所へ行ってもらったら、鳩は半分くらい白い羽毛に変わりました。その後も何度か伝書鳩として働いてもらったところ、そのたびに少しずつ白くなってきています。

冥界へ行ける伝書鳩として渡されているようなので、いつかそういう仕事を頼む日が来るのでしょう。
それにしても私には冥界というものがうまく想像できず、その状態でかわいい鳩を飛ばすわけにはいかないと思っていました。冥界へ、と頼んで、私がイメージしきれていない隙間の世界へ行ってしまうのでは、と思うと心配で仕方ありません。

ちょうど鎌倉へ行こうとしていた時です。
思いついたのは、実在の閻魔様に冥界への入口になって頂くことでした。実在の閻魔様、それも変な話に聞こえるかもしれませんが、実在と言うのは像の事です。笑い閻魔と呼ばれ、閻魔様なのに怖さを感じさせない北鎌倉・円応寺の大好きな閻魔様にお願いしてみようと思いました。
鳩を頭の上にのせて(青と白の龍と白い蛇もご多分の漏れず一緒に)鎌倉へ。
これもまた大好きな紫陽花の時期です。東慶寺の水月観音へのお参りから始まりました。明月院はブルーの紫陽花はもちろん、美しい青紅葉も愛でることができます。鳩は時々境内をくるっと飛んでは戻ってきます。建長寺の三門、鳩は飛び越えるのかな、と思っていましたが、頭の上でまわりをきょろきょろ見回していました。怖がりというか、それなりに警戒心があるようです。
近くであれ遠くであれ、私が外出して楽しいと思っているときは鳩にエネルギーがあり、豆はいらないけれど、こういうことが必要なのだと分かります。
円応寺に到着しました。閻魔様に鳩の事を話し、冥界へ入る目印になって頂きたいこと、冥界に鳩を送る際は、閻魔様を目掛けて鳩を飛ばすようにさせて頂きたいことをお話しました。お願いできないでしょうか、の問いに閻魔様は
「そうするがよい。」
と答えて下さいました。この時の鳩の様子を覚えていないのですが、鳩は鳩として、言葉は発していなかったように思います。一度行った場所は覚えているようなので、これで一安心です。

龍も蛇も当初は、自分のリーディングをする形でしっかり型をつくってから、彼らとつながって、最後は回線を切るということをしていました。今現在は、ちょっと意識すれば好きなように話せるようになりました。それは鳩の存在を感じる時も同じです。年中これらの存在を感じている訳ではないのですが、感じたいと思えばすぐにその存在を感じられます。逆に常に分かってしまったら、、、おしゃべりすぎて、うるさいなー、と思うかもしれません。

私の為に私のもとに来てくれた大事な存在です。
彼らと一緒にこれからするべき仕事をしていきます。

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