井の頭公園の弁天様 新しい旅②

「あの時、夢で見たはず。でも、」
井の頭公園の弁天様にお参りに行きたいとは思いましたが、以前から行きたかった場所だけに疑問符が点灯してしまいました。
「本当に井の頭公園の弁天様?」
調べてみるとメモにある竹生島と厳島神社は日本三大弁財天となっているようです。
ということは、ここは三大弁財天の内、残る1つの江の島の弁天様の間違いでは?
答えは意外と簡単に分かりました。江の島の岩屋は2017年10月の台風被害により閉鎖されていたのです。
江の島の弁天様は岩屋とは別の場所におまつりされていますが、天候から考えても井の頭公園の弁天様だと言わざるを得ませんでした。
そう、どちらか迷っていたのは2019年10月、大きな台風が関東に上陸した日でした。

台風が上陸した2日後、井の頭公園の弁天様に会いに行きました。
こちらの弁天様にご縁のある方に案内してもらってのお参りです。弁天様の島には橋を渡って行きます。
今振り返ると、あの時、案内がなかったら橋を渡れなかったかもしれません。
渡ることはできても、渡った先の世界に着けたかどうか。
ミッションの旅では、その時々でKey、鍵があったりします。彼女にその気はなく、いつも通りに橋を渡ったのでしょうが、その人そのものが弁天様の世界への鍵でした。
橋を渡った先はこちらとは違う世界が広がっていました。
私の言葉で言うなら光も影も全て受け入れられ、良いとか悪いとかではなくそこに存在する世界です。

お堂の正面からご挨拶し、話しかけてみます。

私:「ここは何かの始まりですか?」
弁天様:「さあね。言われた通りに行ってみれば。」

そう言われ、見えてきたのは扇の要でした。
ここが新しい旅の始まりで良いのかを確かめたかったのですが、なんともつれない返答です。
扇の要の意味は、この旅においてこの場所はスタート地点でありながら、その他に重要な意味を持つということのようでした。
弁天様が皆そうなのか、私に対してだけなのかは分かりませんが、こちらの弁天様の言葉はぶっきらぼう。ですが、どんなものでも受け入れて、それでいて穢れない大きい存在という印象です。

私:「こちらはお寺なのですね。」
弁天様:「上物に惑わされないで。」

はっとしました。
上物というのはお堂の事で、お堂が建てられるずっと前からここから湧き出る水に対して敬意や感謝、もっと言えば信仰があったのではないのでしょうか。
弁天様と言っていますが元の姿は水そのものでした。

来た時とは反対に橋を渡って現実世界に還ります。
案内してくれた方がお堂の向きについて「何でこの向きなんだろう。池の方に向いていた方がいい気がするのに。」と言うのです。
言われてみると確かにお堂の向きは池が広がる方が正面の方が自然な気がします。
「上物に惑わされないで。」というのは、もしかしてその意味もあったのかもしれません。
でも今日はここまで、何度か訪れることになるだろうから答え合わせはその時に、と思いました。

「言われた通りに行ってみれば。」これは的確です。言われた以上、旅いってみたいというのが私の気持ちでもあります。旅のミッションを最初に望んだのは私だからです。
旅の目的は、地球のアセンションに関わることであろうくらいしか分かりません。
ミッションにおいて、私自身は理由や目的を深く追及せず、迷ったり考えたりはしますが、とりあえず行動するようにしています。
追求しだすとキリがないし、後になってそういう事だったのか、と理解できることもあるから、まあいいかと思っています。
簡単に言うと、あんまり深く考えず旅を楽しめるという理由で選ばれているのかな、と。

弁天様の橋を渡って、「弁天様」と「水」に加え、「橋」が旅のキーワードになっていることを感じました。
このあと、お堂の向きについて弁天様再訪の前にヒントをもらう事になります。

新しい旅③へ続く。 

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