土地の記憶 塩竈にて
仙台での用事の途中、半日ほど空き時間がありました。せっかくだから足を延ばして塩釜にお寿司を食べに行こう、鹽竈神社にもお参りに行ってみようと思い立ち、仙台駅から仙石線に揺られること約30分。本塩釜駅に降り降り立ちました。駅から鹽竈神社までは歩いて15分ほどの道のりでした。子供の頃、旅行で家族と一緒に訪れたことがあるはずなのですが、ほとんど記憶はありません。その時はきっと父の運転で行ったはずです。大人になって、ひとりで駅から歩いて同じ場所を目指しているのは不思議な感じがしました。
東参道から入りました。ゆるゆると長い昇りが続き、息切れしながら登り切りました。遠くに松島湾が見えました。志波彦神社、鹽竈神社とお参りします。もしかしたらお参りする理由があるのではないか、教えてもらえるのではないかと手を合わせてみました。が、解ったのは鹽竈神社の方でよいということだけでした。まあ普通にお参りできてよかった、よかった。おみくじを引いて、そして塩は分けていただこうと思っていたので塩をいただいて、ご神木をすごいな、などと思いながら境内をゆっくり歩き、ぼんやりしていました。帰りは表参道の一直線、急勾配の階段を下りました。
歩いて駅を目指します。駅の近くのお寿司屋さんに到着。営業開始まであと少し時間がありましたが、もう4、5人が並んでいました。私も列に並びます。時間になりお店の中へ。カウンターに案内されました。お寿司を頼んで待っていると、1番に並んでいた年配のお客さんがカウンター越しに店主に話しかけているのが聞こえてきました。
「前はこの場所じゃなかったよね?」
「ええ、前は向こうでしたね。震災の区画整理で場所が変わったんですよ。」
震災の区画整理。東日本大震災は私の中ではすっかり過去になっていました。震災という言葉をここで聞き、過去ではないのだと思いました。きれいに整備された道は裏返せば震災の爪痕です。お寿司はありがたくおいしくいただいて、駅に戻りました。
電車を待つ間、ホームから景色を見ていた時、ふいに悲しくなりました。それはたぶん塩竈の土地に刻まれている悲しみでした。普通にお参りしている場合ではなかったと気が付き、その場で祈りました。土地に届くと信じて。
土地そのものが記憶を持っていると考えています。地層として目に見える形で残りますが、目に見えない部分でも記憶されていると思うのです。
悲しみは薄まるのでしょうか。薄まったように感じるとしたらそれはその記憶が取り出しにくくなっているだけで、悲しみは悲しみとして奥深くにあるように思います。それは人も土地も同じ。ふとしたとき、その悲しみが記憶から取り出され、そうして何度も悲しみに染められることもあるでしょう。ですが、悲しみが顔をみせた瞬間、たった今が光で満たされているなら、日々の中で少しでも幸せや希望を感じられていれば、その悲しみは古いものとして客観的に眺めることができるようになるかもしれません。
どうか、塩竈の土地と人が優しい光で満たされますように。