井の頭公園の弁天様、もう一度。 新しい旅⑨
三嶋大社・柿田川への旅を終えて、1週間後の1月21日、再び井の頭公園の弁天様にお会いしていました。
お会いしたかったのです。ミッションとは関係なく伺いたいと思いました。
この日はお堂の向きについて答え合わせをしました。
こちらの弁天様に対してツンデレ疑惑がぬぐい切れず。
真正面から聞いても教えてくれない気がして、思い切ってお堂の東側、池が広がっている方から話しかけてみます。
なんと、私と顔を合わせる形でお堂よりも大きい弁天様が立っていらっしゃいました。
思った以上に大きなお姿に驚きました。
やはりこちらが正面、こちらから話しかけるとお姿が大きい、本来のエネルギーの大きさという印象です。
「お堂、こちらを正面にしなくていいのですか。」
「そういう風にお堂が建っているし、まあ良いのです。私は向きたい方に向いていますから。」
もう一言付け加えるとツンデレではありませんでした。言葉がおやさしくなっていました。
「もう一度伺います。ここは何かの始まりですか。」
「そうではないことは2回いらしていることからもお解りでしょう。」
最初に来た時と同じ質問をしてみました。ここが旅の始まりなのか、と。
言葉で答えが返ってくると同時に最初と同じように扇の要が見えました。
「始まりで終わりです。」
開いた扇子の縁に今回の旅の行先が、そして要に弁天様がいらっしゃいます。
行く先の1つ1つは、隣同士が細い線でつながっていると同時に井の頭弁天様とも細い線でつながっているという映像が見えました。
はっとしました。
「弁天様、ここは戻って来ても良い場所なのですね。」
それには答えてくれなかったのですが、否定されることはありませんでした。
旅の行程で戻ってきてよい場所があるのは初めてで、安定感、安心感を覚えました。
弁天様は様々な事を受け入れていらっしゃるようでした。
お堂の向きもそうですが、弁天様のお堂があるこの場所、私は楽しいのですが小さな島に様々なものがある雑多な感じ。
ふらっとここに来る人々の願いや心の闇。
公園で遊ぶ子どもの笑顔、池に投げ入れられた空のペットボトル。
それを浄化と言うのでしょうか、浄化と言う一言では片づけられない気がするのですが、
宝もガラクタも、善も悪も、光も闇も、ただそこに存在するものとして弁天様は受け入れているように感じました。
弁天様はそれほどに大きい存在、地球の縮小版がここで展開されているようでした。
旅の途中に戻ってこよう、ここに。心を開きたくなったら、きっと。会えなくても、見ていてくれると信じて。