山盛りごはんの記憶

前回の「前世と私とソウル」は、いかかでしたか?
難しかったという声もあったので、今日は少し箸休め的なお話を。
私の過去世の物語です。

私は棚田でお米を作っていました。
目線を落とすと自分が着ている服が見えます。袖口が見えて、赤い布に自分で細かな刺繍を施した服。とてもきれいなのですが、この服で田植えをします。
集落の女の人がみんなで協力して田植えや稲刈りをします。棚田ですから、仕事は結構重労働。それでも楽しく働いて、心はとてもゆったりしていました。
一度だけ、ひどい嵐で棚田が崩れ落ちてしまって、ほとんどお米の収穫が出来なかったことがありました。これが人生で一番つらかったこと。その年に食べる1年分のお米が収穫できなかったのですから、生きるか死ぬかというところに直結してきます。必死で棚田を直しました。良くも悪くも自然と共に生きていました。
田植えが終わった時か、稲刈りが終わった時か、みんなで集まってごちそうを食べていたようです。大きな家か集会場か、床はなく地べたです。そこに座って宴会です。私はその時、山盛りの炊き立てご飯を食べられるのが本当にうれしかったのです。仲良しの友達と一緒に笑いながら山盛りのご飯を食べている、この瞬間が一番幸せでした。食いしん坊だったなぁ。
夫や子供もいたようなのですが、今思い出せる範囲では、男の人の存在感があまり感じられず、「もうちょっと旦那さんを大事にすればよかったな」と、チラッと思いながら、人生を終えたようでした。

現世に戻って、今の私ですが、白いご飯が大好きです。この過去世の影響なのでしょう。
そして、一緒に山盛りご飯を食べていた仲良しの友達は今世で出会っています。彼女に過去世で一緒に山盛りご飯を食べた記憶があると伝えたところ、「だから、白いご飯が好きなのかぁ。」と言われました。そう、彼女も過去世で好きだったものが現世でも好きなのです。そして、何の根拠もない話を受け入れる、そういう懐の深さや純粋さも過去世と変わりないなと感じました。彼女にもう一度会いたかった、ここで会えてうれしいという気持ちが、これはもしかして過去世の気持ちなのかもしれませんが、私の中に温かく広がりました。

先日、京都へ行った際、アジアを中心に世界の布を取り扱っているお店の前を通りかかり、ふらっと入ってみました。引き出しに色々な布が入っていたので、「袖口が赤いんです。多分全体に刺繍がしてあって、モン族ではないかと思っているのですが、そういう布はありますか?」と聞きました。残念ながら、私が思うような布はなかったのですが、資料として置かれていた本の中から色々な写真を見せて頂けました。布はどこかで見たのですか?と聞かれ、「過去世の記憶だと思うのですが、赤い布の袖口が見えて、棚田で田植えをしていて。実物を見たらもっと思い出せるかなって思って。」と話していました。オーナーさんは、「棚田だとベトナムとかキルギスの可能性もありますね。赤って血の色なので、色々な地域で使われているんですよ。」と教えて下さいました。怪しまれることもなく、こんな会話が出来た事がびっくりでした。世の中こんな人ばかりだったら、どんなに素敵な世界になるんだろう。
民族衣装は伝統的なものなので、時を経てもきっと同じようなものが残っていると期待して、いつか「これだ!」という布に出会えたらいいなと思います。

もう1つ、私には食べ物関するこれとは違う過去世の記憶があります。食いしん坊なので。機会があれば、それもいつか書いてみようと思います。

 

自分の過去世、私のように自分の感覚で感じてみたいと思った方、
是非、ACS講座Basicへどうぞ!
必ず過去世が感じられるという保証はできません。
が、特別な事ではなくて、昔は、それこそ過去世では誰もが普通にできていたことを思い出す、その作業なのです。

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