呼ばれないと行けない神社は本当に呼ばれないと行けないの? 呼ばれたことがある私の結論

ずいぶん前、SNSで「○○神社、呼ばれなくても普通に行けるんだが。」
という内容の投稿を目にしました。
つまり「呼ばれたとか呼ばれてないとか何言ってんの?」ってこと言いたいのかしら。
ふーん。

呼ばれたことがある私としては、
「そりゃ、呼ばれてなくても行けますよ」
と言いたいです。

いきなり結論からになりましたが、
あの~、これ、普通に行けた人が本人は知らないだけで実はこの神社とご縁があったとかそう言う話じゃないですよ。

だって地図に載ってるでしょう。
現実、物体としてお社という建物があるでしょう。
そこで働いている方もいらっしゃるでしょう。
目に見えるものの話でしょう。
むしろ普通にたどり着けないとなるとその神社と自分には何かあるんでは?ってことになると思いませんか。
呼ばれなくても現実に存在する場所、建物には行こうと思えば行けますよ。
だったら呼ばれたっていうのは何なん?て事になりますよね。
だいたい呼ばれたってどこから呼ばれたのでしょう?

普通うに行けることと呼ばれた場合は何が違うのかというと、まず現実に存在する場所に加えて異次元の方に踏み入れているかどうかです。
そして私が考える「呼ばれた」のは、この世、三次元の世界の人に呼ばれたのではないということ、
目に見えない存在から「招待」されているということがあります。
この招待というのは、夢の中などではっきり言葉で言われることもあるでしょう。
(でも夢で声を掛けられたからと言ってもその存在が光か闇かくらいの見極めは必要かも知れません。そこは別問題で善きものに見せかけた程度の低い悪戯というのだと厄介です。)
その招待って、個人の思い込みや妄想なんじゃないの?と突っ込まれそうです。
絶対行きたくないと拒否すればそれはそこにはたどり着くことはないでしょう。
これって思い込み?と不安になったとしても、招待の場合、度重なるシンクロからそこに行かざるを得ない状況がつくられていくということもあります。
招待されていないつもりでも旅行などでなんとなくその場所に行ったら、、、ということもあるでしょう。
最終的にシンクロが重なり自分が想像できる範囲を超えた体験となります。
度重なる偶然の重なりは自分の思い込みだけでは起こせません。思い込みや妄想とは言えなくなります。
悪戯でなければ少なくとも害を及ぼすことはなく、そこには何らかの訳、理由、意味といったものがあります。
訳や理由、意味はすぐには明らかにならないかもしれませんが、何かを考えるきっかけになります。

呼ばれたくても呼ばれない人がいるし、せっかく呼ばれても行動しない人が少なからずいます。
本当はみんな分かると思うんですけどね。
冒頭の「呼ばれてなくても、普通に行けるんだが。」の人は、本人に自覚がなく呼ばれたことも考えられなくはないのです。
でも本人がそこ(現実以外の異次元)には行っていない。
「目に見えない世界は無い」「この世界に異次元は無い」と言った時点でその人の世界ではその世界は無いのです。

呼ばれてないと登れないと言われている三輪山、私の体験談はこちら。

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