走水神社 水をめぐる旅

横須賀の走水神社に行きました。

まずは「走水」という地名の由来を簡単に。
諸説あるとのことですが大きくは2つあり、両方とも走水神社やその御祭神に関係しています。
走水神社の脇から豊富な地下水が湧き出たことを由来とする説、もう1つは記紀に基づく説です。
走水神社の御祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)のお話です。
ここでは簡潔にまとめてみます。
日本武尊が東征の際、荒れ狂う海に船を進められなくなりました。日本武尊の妻である弟橘媛命は荒ぶる海の神の心を鎮めるため、自ら海に身を投じます。
すると海は凪ぎ、船は水上を走るように進みました。

暴風即止 船得著岸 故時人号其海 曰馳水也 (日本書紀 巻第七 景行天皇~成務天皇より)
渡走水海之時 其渡神興浪 廻船不得進渡 (古事記 中巻 景行天皇より)

最初は走水神社参拝が目的ではありませんでした。
横須賀美術館に行きたくて周辺の観光を調べていて、たまたま見つけたのがきっかけでした。
日本武尊と弟橘媛命の物語は薄っすら印象に残っていた程度。
2時間以上かかるし、蔓延防止だし、緊急事態宣言だしなぁ、と迷いました。
日本武尊は今まで身近に思ったことがなく、呼ばれているのではなくて私が自発的に行ってみたいだけだから無理して行くことはないと思っていたのです。
しかし手に取った神社や記紀関係の本を開くとなぜか日本武尊のページというのが数回。
へー、偶然てあるんだなぁ、で流していました。
決定的だったのは図書館で見た雑誌です。表紙を開いたらいきなり日本武尊像の写真が目に飛び込んできました。表紙から本来あった数ページが破らていてそのようなひどい状態になっていました。
思わず「あ、はい、分かりました。」と言っていました。図書館の雑誌を破るって、記紀に書かれているように日本武尊はサイコパス的な一面があるのかなぁ、と考えてしまいました。
まぁ、そう言ってもただでは動かない私。今回は横須賀美術館の魅力的な企画展と併設の海が見える素敵でおいしいと評判のレストランが大いに背中を押してくれたことを書き添えておきます。
レストラン名前は「ACQUA MARE」。イタリア語で「海水」という意味だそうです。
この旅は私個人の為という要素があるように感じ、「水」が鍵なのか?となんとなく思ったのでした。

さて、あっという間にお参りの日が訪れました。走水神社は山を少し登ったところにあり、振り返ると美しい海が見えます。
走水神社で手を合わせた時、最初に現れたのは日本武尊でした。そして上までも登って戻ってきてもう一度手を合わせると弟橘媛命とおぼしき方が現れました。
この二柱の神様と話すということは憚られ、存在を感じるだけ。私は「今まで傷つけてきたことに対して大切にする道を考えてみます。」と心の中で呟いていました。

話しは変わりますが、ここに来るときバスを待つ間、バス停でぼーっとツバメを見ていました。
ツバメの喉の赤色、無駄のない身体、着飾っていないのになんて綺麗。小さな身体をめいっぱい使って生きていて、そこに誇りをもっているように思えました。
私を含め人は今あるそのままでいいと思えなくて、必要以上の欲で自分も他人も傷つけて。地球も傷つけてしまった。
子どもの頃には近所で見ていたツバメさえ、もう今は見ることが出来なくなってしまった現実がありました。
「地球、ごめんなさい。」という気持ちになりました。と同時に「これから大切にできる。」という言葉を私のソウルが伝えてきてくれたように感じました。

そんなわけで走水神社で手を合わせつつ、来る途中にツバメを見て思ったこと、大切にする道を考えてみます、と心の中で呟いていたのです。
「考えそのものを自分以外の人に無理に押さなくていい。自ら気が付けば心から行動するようになるから。」
ふわっと降ってきたその言葉に続き、
「あなたのしあわせが地球のしあわせなのだよ。」
と一言。それ以上の言葉はありませんでしたが充分でした。
最後の言葉は聞き間違えでは?と思いましたが、「しあわせ」の意味を取り違えないよう考えてみれば間違ってはいないのです。
ここで言われた「あなた」というのはひとりひとり全ての人のこと。
全員のしあわせはあるのか?有り得ないだろう?と問われれば、誰かの幸福の為に他の誰かにしわ寄せがいくような、そのようなしあわせの話ではないということを伝えたいと思います。

さて本殿から先、もう少し山を登って行くことができますが空気が変わります。
おじゃまさせて頂きます、と登り、高いところからのきれいな景色を一目見て楽しませて頂き、早々に引き返しました。

本殿の右の方に進んでみるとお稲荷さんのそのもっと奥に、「水神社」というのぼりが見えました。
水神社?なんだろう?と進んでみると、

かわいい河童の像とお供えされたキュウリが見えてきました。
なんと河童がお祀りされています。説明書きの写真を読んで頂くと分かりますが水が深く関わっています。

走水神社の手水は地下30mから湧き出る真水でした。
お水は参拝者が汲めるようになっていました。ご近所の方でしょうか、ポリタンクに水を汲んでいます。
お水を汲めるとは知らなかったのですが、神社についた時点で水筒の中身がちょうどなくなりそうでした。帰りにこれ幸いとお水を頂きました。
旅に出る前「水」が鍵なのかなぁ、と思っていたのは先述の通りです。
走水神社は海が目の前なので「海水」になるのかと思っていましたが、結局思いもよらぬかたちで真水を頂くことになりました。
この水が思った以上に美味しかったのです。冷たくて、甘みがあってやわらかい。
こんなに美味しい水をポリタンクで持ち帰れるご近所さんがうらやましくなりました。

走水神社から美術館まで海沿いを歩きました。海、思った以上に水がきれいでした。

湧き水や川、湖、沼、水と神社や神様の関係はそこにある歴史、人との関わりが興味深いと思っています。
「水をめぐる旅」では水に関する様々なことや考えたことをつづってみます。

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