九頭龍神社月次祭へ
2018年9月13日、日帰りで箱根の九頭龍神社月次祭に行ってきました。
なぜ九頭龍神社に?
自分のソウルに言われたからです。
リアルRPGの駒を進められるようにお願いに行くところがあると、それが九頭龍神社でした。
調べてみると月次祭が毎月13日に執り行われていました。
当初は妹と一緒に行く予定でしたが、直前になり妹に急な出張が入ってしまい、一人で行くことになりました。これも多分、「一人で行きなさい。」と言う事だったのだと思います。(妹、巻き込んでごめん!)
ずいぶん前に芦ノ湖や箱根神社には行ったことがありましたが、九頭龍神社は初めてお参りしました。
驚いたのは人の多さです。小田原からバスに乗って芦ノ湖まで、バスがすでにお参りの人でいっぱいでした。
月次祭の時は芦ノ湖を船で渡り、お社近くの船着き場で降りることができます。その船もお参りの乗客で、にぎわっています。
小さなお社の周りに沢山の人が集まっていました。
お参りの列に並びます。途中で、あれ?このままお参りすると、祭事の時、お社から離れたところに行くことになってしまうかな、と気が付いたのですが、だからと言ってどうすることも出来ず、そのままお参りの列に並んでいました。
お参りできるまで、前の人があと2人というところで、神職の方が「時間になりますので、一旦お参りを区切らせて頂きます。」とお参りの列を止めました。お社の真ん前でした。
九頭龍神社の扉の奥には、青い龍と白い龍が描かれていました。まるで、うちの龍たちみたいだなぁ、とぼんやりしていましたが、ソウルはこれを見せたかったのかもしれません。本殿の扉が開く、月次祭の日を選んでくれたようです。
祭事がすすみ、祝詞の奏上となりました。
速川の瀬に坐す瀬織津比賣と言ふ神 大海原に持ち出でなむ
大祓詞でした。瀬織津姫の名を久方ぶりに意識しました。思えば、瀬織津姫が祀られている六甲比命神社へ行ったことが全ての始まりでした。
当初リアルのRPGだと、楽しんでいた旅。躓いてから色々なことを考え、ソウルに質問をしたり、神社に行くようになって何となくわかってきたのは、これは誰の為でもなく私自身に必要な巡礼とか修行のような一面を持つ旅だという事です。例え氣比神宮で言われたものが揃わなかったとしても、その道は続いているので進む手立てはあるという事、ただ、要求されたものを準備する努力は、「もういい」と言われるまで続けなければならないであろう事が分かってきました。もしかしたら要求されている事の本質はこの努力とか苦しい経験という方にあるのかもしれません。先が見えない中で、ただただ努力するというのは結構辛いのです。それでも楽しんで出来るか?見えない世界を信じ続けられるか?ということを問われているように思えてなりません。
さて、九頭龍神社の御祭神。九頭龍大神となっています。青い龍と金の龍らしいのですが、その時の私には一体の神様として感じられました。お姿は見えず、声だけで少し会話をしたという感じです。
現在の状況を話すと、
「もう既に様々な神が動いている。」
「存じております。どうかお力添えをお願いいたします。」
「では私の方でも調整をしておこう。」
「ありがとうございます。お願いいたします。」
なるほど調整か。そうだろうな、と思います。願い事が叶うか叶わないかというのは、まず、その願いがその人の生まれる前に決めた青写真に沿ったものであるかどうか、心からの願いなのかが重要で、それがあっての周囲の調整ということなのでしょう。
九頭龍神社はパワースポット、縁結びの神様と言われている神社なのだそうです。自分にとってどうなのか、というところも加味されるべきだとはおもうのですが、多くの人にとって拠り所となっていることは月次祭の混雑具合から誰が見ても分かります。純粋にお願いをしに来ている人間を放っておくような神様ではないのです。
九頭龍神社の月次祭は、混んでいますが行事ですから賑やかな雰囲気を味わえます。参拝者に献供用のお供物が用意され、ご祈祷を申し込むことも出来ます。ご祈祷されると神札と龍神水を頂けます。祝詞の奏上を聞けたことで得した気分になれました。
混んでいても神様はお参りした方の言葉はきちんと聞いていて下さいます。自分のペースでゆっくり九頭龍の神様にお参りしたいということであれば、月次祭ではない日に訪れるのも一つの方法です。
「あの時は調整をありがとうございました。」とお礼の参拝が出来たらいいなと思います。
さて、日帰りで箱根まで来たのは、「九頭龍神社にお願いに行かなければ!」という強い思いからです。
決して「湯もちが食べられるではないか!」という思いつきからではありません。その思いつきがだいぶ背中を押してくれたことは否めませんが…。
箱根湯本の「ちもと」の「湯もち」が大好きです。ふわふわの白いお餅の中に小さく細長く切った羊羹が入っていて、ゆずの香りがするお菓子。
「えー、箱根まで日帰りで1人で行くの?」行くのは簡単でも何の根拠もない。ただ自分が感じ取ったものを信じて行動するという時、まだ「ホント?」と思っている自分もいますし、周囲からみたら、ソウルが行けと言うから行くというのは、奇異な行動に見えるのではないかとも思います。まだ人の目を気にしているのです。そういう時、美味しいものがあると、それは一気に現実です。
行く!だって食べたいから!
またしてもソウルに食欲を利用されたか、と思いつつ、湯もちを手に家路へと着いたのでした。